「栃木の文学史」(栃木の文学史編集委員会/栃木県文化協会発行/昭和61年1月20日)第8章戦後文学の展開第六節栃木県文芸家協会の設立から(原文は縦書き)

 昭和四十八年(一九七三)高内壮介、落合雄三らが中心となり、協会設立を起案した。
 はじめは詩人、作家、評論家を対象として趣意書をつくったが、協会加盟を勧めたのは、県内における各部門の頂点に立つ作家、詩人、歌人、俳人であった。

趣意書の要点は

「――私達はいま、以前にはなかったような先人の遺してくれた恵まれた文化の継承者の自負の上に立つと同時に、他の分野から立ちおくれた創作、評論の創造的活動をめざし、詩人の参加を得て「栃木県文芸家協会」を設立することになった――」

とある。小説の分野が、他のジャンルの活動に比して著しく立ちおくれているとの認識から設立への動きが起きたものである。

同年六月二十日、第一回の総会が宇都宮市江野町落合書店にて開催し、五十名の加盟を得て協会は設立され、同時に機関誌の発行を決議した。雑誌の誌名は地方の時代を象徴するために『時代』と名付け、協会の主要な事業の一つとしての雑誌発行へと向かった。

「時代」は年一回~二回をたてまえとし、主たる執筆を会員が受けもつことで編集されてきたが、第四号の平畑静塔特集を契機に執筆の枠を拡げ、非会員へも原稿の依頼をし、誌面の充実を図った。

特集では右の静塔、半田良平、高塩背山、岸良雄、影山銀四郎、短歌年鑑、書評特集、前田雀郎、随筆特集、女流詩人特集、小説特集、といった特集に力を入れ、地方雑誌として他県に類のない雑誌の出現をみた。

協会は行政への要望を二年に渉り、県政与党たる自由民主党へ提出した経験を持つ。昭和五十年(一九七九)「栃木県文芸家協会補助金の予算措置に関するお願い」として次のような極めて具体的に県民の要望として提出している。

――さて国には財団法人「日本近代文学館」が文壇有志によって推進創立をみ、国の文化的創造の遺産の保存収集と研究に当たり、多大の功績を挙げております。また全国各地においても地方文化的な性格をもった文学館、例えば山形県の「茂吉記念館」、長野県の「藤村記念館」「大宅壮一文庫」等々、が次々と創建され、それぞれ活発な地方文化の向上に貢献しています。これらの現象は文化の中央集権的政策とは別個に地方文化の独自性に則った刮目すべき運動でありまして、本県の文化行政も、これらにおくれをとることがあってはならないと考えるものであります。
顧りみますに、本県には県立図書館、県立美術館等の設立をみています。戦後三〇年われわれはこれらの施設を非常に貴重なものとして活用してきました。……略……そしてゆたかな人間性と文学の研究、資料の保存のため、「栃木県文学館」の設立を要望するものであります。……略……文学館の設立を次の要項により要望するものであります。

 

①資料室 ②閲覧室 ③ギャラリー ④記念室 ⑤集会室 ⑥大会議室 ⑦小会議室 ⑧事務所・館長室(応接室兼用) ⑨これにふさわしい環境――

 

この要望書提出後、自由民主党県議会の政調会より議長室へ招かれヒアリングを行ったが、それ以後この文学館設立運動は立ち消えてしまった。

初代会長 岡崎清一郎、副会長 平畑静塔、久保貞次郎、影山銀四郎、事務局長 落合雄三。

二代会長 三田忠夫、副会長 高内壮介、生井武司、事務局長留任。

三代会長 高内壮介、副会長 手塚七木、渋谷行雄、加藤信夫 事務局長留任。

(落合 雄三)